(2022/08/31) 6年遅れで新書紹介を書きましたのでここからダウンロードして下さい。
(2016/12/14) 早稲田大学理工学術院・英語教育センター長・上野義雄先生の新著『現代日本語の文法構造・形態論編』。この後すぐに『統語論編』も発売されるということだが、これは「どのような形態論を展開するかは、どのような統語論を想定しているかに左右され、どのような統語論を展開するかは、どのような形態論を想定するかによって大きく異なる」という著者のお考えによるもの。(大学がこれだけ忙しくなっているのに、要職にありながら 2014, 2015, 2016, 2017 と4年連続で出版が続くのも凄い。)
本書は「文法とは複数の自律したモジュール間の競合である」という考えに基づいた Automodular Grammar (Sadock 1991, 2012) の枠組みから日本語形態論を論じてたもの。文法が複数の自律したモジュールから成立しているという考えは Autosegmental Phonology (Goldsmith 1976) や、古くは Stratificational Grammar (Lamb 1966) に遡る。基本的な考え方は「文法の労働分割」であり、本書もこの考えに沿う形で、すなわち「(例外もあるが)全ての語形成は形態部門で行う」という文法観のもとで日本語の形態論が分析されている。結果として、本書で展開される分析は、語形成に際して、統語部門を使用する諸分析とは一線を画しており、形態部門と統語部門とのインターフェイスを「語 」に限定している点において「語彙主義」と言われる諸理論の分析と親和性があるものになっている。しかしながら、形態部門を、独自の範疇や構成素や規則を擁した(統語部門・意味部門・音韻部門と同様の)自律した生成部門と見なすことにより、生成文法黎明期を支えた研究者たちが提唱してきた「述語繰り上げ」や「統語的接辞」といった概念を、形態部門と意味部門の現象として組み入れることに成功しており、この点(初期の)語彙主義のどの理論とも異なる分析が展開されている。
本ブログの筆者は、兄弟子にあたる上野先生のご著書に関して何かを言うほどの器量を持ち合わせおらず、この数年、本書の草稿を読ませていただきながら、その知性において「夜に輝く月の光と蛍の光ほどの差がある」と痛感しているところ(もちろん後者が本ブログ筆者)。わかったのは「この分析の証拠として1つ目・・、2つ目・・、3つ目・・、4つ目・・、5つ目・・」と次々に証拠が繰り出されて議論が続くところなどは、上野先生が敬愛されている James D. McCawley の議論の仕方と全く同じであるということ。「これはどうです?」と感じたことには、必ずその答えが出てくるだけでなく、自分が感じたことが何であったのかを忘れるほどに深い議論が展開されており、読みながら目眩と頭痛がすること数知れず(涙)。これからも理解し自分のものとなるまで読み続けます。全てが懇切丁寧に説明されておりますから、是非ご一読下さい。